少し前、営業さんと食事をしていた時に出た話題なんだけれど、
「自分はどんな時に”ほっ”とするのか」という事。
営業さん「僕は"ほっ"とする事って滅多に無いです」と。
とは言うものの、それは単に"ほっ"としている事に気付いていないだけなんじゃないかしら、と私は思う訳で。
営業さんはずっと実家暮らしだそうで、私も実家に居た20歳までは"ほっ"としている事に対してまったく自覚が無かったという記憶がある。今考えても「・・・うーん、どんな時にほっとしていただろう」と考え込んでしまう位に覚えが無い。というよりも常に一定の”ほっ”という状況に置かれているが為に、それが当たり前になってしまっていたのではないか、と思ってしまう。
ところが、一人暮らしを始めてからは"ほっ"を積極的に探し求め、しっかりと感じ取れる様になった。
一人暮らしをしていると、誰も身の回りの事を一切やってくれない、働かなければ衣食住という基本的な生活すら出来ない等、とにかく何もかもに対して「自分が動かなければどうにもならない」という緊張、プレッシャー、スリルがある。その反面、オフの時は日が落ちるまで寝ていようが朝まで酒を飲んでいようが、法に触れさえしなければ何をしていても誰にも文句を言われないというこの気楽さ。
そんな波の激しい日常のお陰で、とにかく "ほっ" が生活の中で際立って来たようだ。
一人暮らしをしている時の"ほっ"で良く覚えているものは「こたつに入ったまま洗濯物をたたんでいる時」と「古本屋で買った本を再度古本屋に売る為に、張ってある値札を地道にはがしている時」だった。後者をみるとなにやら貧乏臭くて仕方ないのだが、実際貧乏だったのでこればかりはどうしようもない。しかし、あの頃は値札を剥がしている時が本当に幸せで、途中でニヤニヤしはじめたり、幸せのあまり「アァーっ…!」と変な奇声を漏らしてしまう程だった。あの感情は一体なんだったんだろうか。
ちなみに、最近の私の "ほっ"アイテムは、「和菓子(生菓子)と熱い緑茶」である。
これだけ書くと「なんか私も年をとったもんだぜ・・・」と少々切なくなってしまうのだが、和菓子と緑茶を前にすると、本気で体の芯からほっとしてしまう自分がいる。
和菓子も和菓子で、ちゃんと装飾が施された可愛い生菓子や、美味しい桜餅(桜の葉っぱの塩漬けが2枚とか付いているともう最高)があればそれでいい。焼き菓子は卵っぽすぎるのでちょっと苦手。アレルギーなので卵は沢山食えない。
今日もニュースを見ていたら、クリスマス仕様の和菓子が出てきて「うほっ」ってなってしまった。もうすげー可愛いの。この可愛さをどうしても伝えたくて、どこかに画像が無いか探していたら楽天で発見。このクリスマスツリーの方とか、もうね、たまらない。
今日は -和菓子のニュースに触発された私が和菓子についてちょっと語りたかった- というだけの理由でこの日記を書きましたよ。